海
海月さん (92an6shf)2024/6/12 01:58 (No.107340)削除廃倉庫での取引から暫く過ぎたある日の事。その日は一日曇り空で、薄暗い雰囲気が妙に気持ち悪い日だった。いつも窓から見る鳥達も心なしか元気が無い。
それは人間においても同様で、斬樂々は部屋のソファに全身を沈めていた。上司の男、もしくは聖女様が居れば「はしたない」と怒られただろうが、あいにく今はそれを注意する人もいない。
「憂鬱……だなぁ〜。ニーアもあいつもいないし…。憂鬱で、退屈だなぁ〜。」
寝転んだままテーブルの上の菓子に手を伸ばすが、僅かに届かない。普段なら少し起き上がって手に取っただろうが、あいにく今の斬樂々に起き上がるだけの気力は無い。死んだ両親の魂が宿ったのか、自堕落な娘を眺めていた刀が少しガッカリしている様に見える。
その部屋のドアをきぃと開く音がした。
「おや、斬樂々。随分と気分が落ちているようだが、何か良く無いことでもあったのかな?」
ドアの向こうから入って来たのは、黒いレースの目隠しをした女性。高貴な杖を持ち、ジャケットを羽織り、そしてスーツを着ているので一瞬男性と間違えそうになるが、その声色、その肌色、そしてその髪の美しさが彼女を女性と声高に示していた。
「わぁぁぁコラプスさん!?いえ!やる事がなくて少し不貞腐れていただけです!」
寝耳に水を垂らされた様にその体を跳ね上げた斬樂々が、コラプスと呼ばれた人の側に駆け寄る。
「あぁ、斬樂々、大丈夫。ここは慣れた場所だ。物の位置は分かる。あの男が突発的に模様替えなどしない限りはね。」
コラプスはインテリアに手を触れながら、いつも斬樂々の上司が座る椅子にまで向かう。その様子を見るに、彼女は眼が見えていないことが見て取れる。
「さて、ここ最近はどうもきな臭いね。特にあの男の周辺が。」
「あ、やっぱりコラプスさんの耳にも入ってましたか。なんか…怪しい事やってるっていうのは。あ、紅茶です、どうぞ。」
上司には茶の一杯も淹れない斬樂々だが、今回は率先して一杯の紅茶を淹れていた。
「うん、ありがとう。……その件だが、私の斥候部隊がM.O.Dの方で不穏な動きを見受けたと報告に来てね。全員何か同じ依頼を受けた様に動いている様なんだ。依頼主を調べてみたところ、全員別々の人物から全く同じ依頼を受けているという。普通の調査なら……依頼主を訪ねて目的を聞けば良いが、今回は依頼主を訪ねても意味がないだろう。」
コラプスが話の合間に少し紅茶を口に含む。その様子を緊張して眺めていた斬樂々だったが、直後のコラプスの優しい微笑みにその緊張が解かれる。
「私は、こういう手口で本当の依頼主を見えなくさせる奴を知っている。特に今回の様に幾つもの罠を情報に仕込めるやつは、おそらく奴しか居ない。」
デスクの上に手紙が置かれる。手紙にしては妙な折り目がついている。
「これが依頼内容を記した手紙なんだが、この手紙を一定の規則に従って折り曲げてやると……」
「あ、読める文字と読めない文字が出てきた……えーっと、『親愛なる貴方へ インヴィ』……。あー!この名前って!」
「そう、私たちの上司だよ。彼は名前を伏せて依頼する際、相手に名前を教えないという不誠実な対応をしない為にこういうトリックを仕掛けるんだ。勿論、こういうトリックがある事は相手には教えない。でも、これを仕込んでおけば、名前を伏せて相手にだけ手を汚させようとする小狡い奴ではないと、言い返せるだろう?とまぁ、こういう物を見つけてしまったからには、何か起きてると言わざるをえないだろう。」
やれやれという気持ちを込めたため息を吐き、背凭れに寄り掛かる。
「斬樂々には、迷惑を掛けるね。」
「いえ!あたしとしては、役に立つチャンスを沢山貰えているのでありがたい限りです!」
「ふふっ、そう言ってもらえて助かるよ。やり甲斐で搾取するのは申し訳ないから、何か希望があればすぐに言うんだよ。斬樂々の働きなら、文句も出ないだろう。それにしても、この紅茶は美味しいね。どこの茶葉を使っているんだい?」
「あぁこれは最近揃えた茶葉でして、いろんなお菓子に、あ、お菓子も用意しますね!」
暫く給仕係となった斬樂々がコラプスをもてなしている内に時間は経っていき、時刻は夜を迎えようとしていた。
一方、斬樂々がソファに沈んでいた頃、人知れず教会に訪れていた男がいた。
「もし、聖女様。少しお話良いかな。」
「その声は、インヴィさんですか?突然どうされました?このような所に。」
教会の中に人はおらず、曇り空ゆえか、教会内も少し暗い雰囲気が包み込んでいる。いつもは神聖さを感じる十字架も、今日はどこか恐ろしい。
「いやぁ、そろそろ俺も懺悔の一つでもしておこうかなと思ってね。」
「おや、インヴィさんもこの世から離れようと…?」
「おっと、そうだった。君に懺悔すると死ぬんだった。危ない危ない、ってそうじゃなーい。話が逸れちゃった、逸らしたのは俺か。」
「そうですよ?今私に罪はないです。」
「じゃあ気を取り直して。率直に言うと、俺達これから危うい橋を渡る事になるけど、着いてくる気ある?勿論これは強制じゃない。だけど、成功すれば、君はもっと多くの人を救えるよ。これは確実に言える。」
「インヴィさんが、私の『救済』を理解した上でその発言をされているのでしたら、私にそのお願いを断る理由がありません。私も僅かですがお力となりましょう。」
「我ながら、聞き方がちょっとズルかったね。でもニーアちゃんの了承を得られて、俺は嬉しい。いや、了承を得られなかったとしても、それはそれでまた別の嬉しさがあったけど……はは、今は語るべきでもないか。」
「インヴィさんがいつも何か悪巧みをしているのは存じております。それが私たちのためであると言うことも重々承知しております。ですから、たまには私も貴方に恩を返したいのですよ。」
「斬樂々にも同じこと言われるけど、俺別に君達に恩を売ってるわけでもないんだけどなぁ。むしろ俺の方が助けられてるって言うか…、あーでも、君達の好意を無碍にするのも良くないな。よし、男インヴィ、覚悟を決めよう。」
勇ましく立ち上がった彼は懺悔室のドアに手を掛ける。
「じゃあ、また何か連絡があったら来るよ。今度は君の好きなブリオッシュでも用意してくるよ。」
「ではまた、インヴィさん。私の好きなものはデニッシュですよ。」
「……間違えるところだった。」
そして、その日の夜のこと。
「インヴィ。お前、自分の計画を子供達に伝えていない様だな。」
「あぁ、俺もまだ覚悟が足りなかったみたいでね。でも、今日で決心がついた。俺はやるよ。」
「ニーアはまだしも、斬樂々はお前の力になりたがっている。少しは頼ってやれ。」
「あっはは……そうなんだよねぇ。俺が求めてる以上の働きをしそうで怖い怖い。それで少し連絡が億劫になってたって所も、あるかなぁ……。」
朧に浮かぶ月明かりが屋上を照らしている。そこには2人の人影があり、片方は建物の淵に座り込み、もう片方の杖を持った人物は座り込んでおる人影の裏に立っていた。
「……組織を裏切るのか?」
「いやいや!まさか!俺は皆大好きなんだ!裏切るなんてとんでもない!…ただ、そうだな。一部の連中は、俺の行為を裏切りだと囃し立てるかもな。」
「もし計画が失敗すれば、お前と私は勿論、子供達も死ぬ事になるぞ。」
「いーや、そんな事はさせない。死ぬのは俺1人で十分だ。それに、組織に希望がないわけじゃない。俺はまだ一度ちらと見た程度だが、幹部には聡明な方もいるだろう。俺の行為の真意を理解してくれる人だっているはずさ。」
「なら、その件は伝えておけば良いじゃないか。」
「はは、それが出来たら良かったんだけどね。ま、そこは花屋さんとのお約束。俺の上の人には話を通すな、ってさ。向こうの皆さんも何度かこっちの仕業で辛酸を嘗めてるんでしょ。俺個人は信頼してくれてるけど、組織は信用できないって人が多いらしいよ。」
「お前も苦労人だな……いや違うな。お前は進んで苦労を買っている。」
「厳しいねぇ。でも、言い返せないなぁ。実際、俺に直接何か利益がある訳でもないしな。」
「白と黒、2つの情報を織り交ぜ、提供する。白と黒の情報伝達方法……。ふっ、新聞社でも開くつもりか。」
「新聞社……、はは、それ良いね。採用。『Paper』とでも名付けようか?」
「名前にこだわりは無い。」
「ラプスはそう言うとこ素っ気ないよねぇ。」
「……2人きりとは言え、外ではその名前で呼ぶなと言ったはずだが?」
「あぁ、ごめん!考え事しながらだったからつい!ごめん!」
「お前の一定の分野における記憶容量の少なさは何とかならないのか?お前の耳に入っているかは知らないが、子供達から苦情が来ている。」
「え!?マジ!?苦情!?」
「以前お前ニーアにデニッシュを買ったと言っていたが、届けられたのはブリオッシュだったと言っていたぞ。さらに斬樂々も少し怒っていた。頼んでいたお菓子と違うものがたまに用意されているとな。」
「いやあ、俺もねぇ、忘れてる訳じゃ無いんだけど……、店頭で美味しそうな物見るとそっちに引っ張られちゃって……。ま、次から気をつけるよ。」
「冗談だ。お前の記憶力は信頼している。大方2人の為に人気店に並んだは良いが、頼まれていた物、もしくは好物が売り切れていたから、代わりの物を買っているんだろう?全く、お前は子煩悩な奴だよ。」
「俺からしたら、コラプスも子供達の悩みを聞いてあげるあたり子煩悩だと思うけど?」
「不思議とな。長く暮らしているから放っておけないんだ。」
「俺も同じ。血縁でも無いし、何なら年齢も親子ってよりはきょうだいって感じだけど、存在しないはずの親心が芽生えるんだよな〜。」
「じゃあ、子の成長を見守り、支えるのも親の役目だな?」
「あぁ勿論。俺は家族を守るよ。」
インヴィは建物の縁に立ち、背後にいるコラプスに向き直る。
「たとえ裏切り者のレッテルを貼られて、組織から狙われたとしても。」
聞かなくてもわかるよな、という意味を込めた笑みを浮かべ、その上で宣言する。
「俺は、家族の味方だよ。」